道徳の教科化に向けて
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人は学ぶことなしに、道徳的な行為をするようにはできていません。 人は学ぶことなしに、道徳的な行為をするようにはできていません。

 みなさんの多くは、小学校や中学校で道徳の授業を受けてきたことと思います。その授業にどのような思い出があるでしょうか。
 例えば、「金の斧、銀の斧」のような読み物を読んで、正直に生きることは大切だといったことを学んだ思い出でしょうか? それとも、「ざわざわ森のがんこちゃん」や「それ行け3組」といった番組を見て感想を言い合った思い出でしょうか?
 昭和33年に、週一度の道徳の授業を行うと決まって以降、子どもたちの心を育てようとこの授業は行われてきました。しかし、価値観の変化によって家庭とか地域の教育力は下がり、学校が躾を含めた全ての教育を背負っているような状況が生まれ、教師の多忙化なども相まって、子どもたちの心が豊かに育ってきたとは言い切れない問題が起きてきました。いじめが悪質になり、それが命の危機を招くようになってしまったことは、大人としての力不足を感じさせました。命に関わらないまでも、ギスギスした人間関係によって、学校生活に影を落とすことも珍しくなくなっているように感じます。

 人は学ぶことなしに、道徳的な行為をするようにはできていません。生まれてからずっと、どのようにしたら多くの人たちに囲まれて楽しく暮らしていくことができるかを、学ばなければならないのです。ルールやマナーを身に付けなければなりませんし、自分を大事にするように、相手も大事にすることが大事なことであることを知らなければならないのです。

 50年以上に渡る道徳の授業を振り返り、さらによい授業を行っていこうという考えから、平成30年には小学校の道徳が「特別の教科」という肩書きをもつことになりました。国語や算数と同様に教科書を使い、どのような学習をしたのか、何が身についたのかを評価していくことが決まったのです。(既に移行期間は始まっており、本格実施に向けての授業が行われています)
 これまでと異なる点は、学んだことを行為として表現できるまで指導すること、資料に書いてあることや教師の話したことを鵜呑みにするのではなく、子ども自身が主体的に考えて道徳性を身に付けることができるような授業にしていくことが求められるということです。

 私はかねてより、子どもの学びには主体性が大切であると考え、そのためにはどのような授業を行う必要があるかを研究して、情報を配信してきました。ですから、道徳においても主体的な学びが求められるという話に、驚くことはありませんでした。むしろ、「何を今更」という思いが頭をよぎりました。同様な思いを抱いた教師は、一人や二人ではないと思います。多くの教師が、子どもの主体的な学びの成立のために、日々努力を重ねてきたからです。

 しかし、団塊の世代の教師が大量に退職した結果、教師の層が急激に若年化してきており、どういった教育のあり方がいいのかを伝えていくことは、とても大事になってきていると思います。たとえベテランの教師であったとしても、常に時代の要請がどこにあるのかにアンテナを張ることは大切なのです。
 これからも、この場を使って、有用な情報をお伝えしていこうと思っています。

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